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音楽と好きなものと

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ジャパンカップの思い出

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引き際の美学や燃え尽きる美学。でも当事者は恐らく何も気にしちゃいない。

 
第23回のジャパンカップを逃げ切ったタップダンスシチーという競走馬が居た。外国産馬であるがそれほど洗練された血統でもなく無骨な身体、そして並の馬であればピークを過ぎる年齢になってから戦いを重ねて強くなった超晩成馬だった。彼は決して逃げ馬ではなかったが、とにかく前に出て良血のエリートの追い込みを押さえつけるレースをしていた。
 
現代競馬は折り合い重視の競馬だ。力をじっと蓄えて最後にライバルを出し抜く。暴走する馬は徹底的に潰され、潰れる。いかに周りに合せて良い所で抜け出してみせるか。競馬に限らずそんな「折り合い至上主義」にうんざりとしていた僕はいっぺんに彼のファンになってしまった。逃げ馬ではなかったし、もちろん追込み馬ではなかったので、僕がかける声援はいつも「振り切れ」だった。
 
「振り切れタップダンスシチー」それが僕が投影した理想だった。
 
2年後の第25回目を迎えたジャパンカップ。超晩成であるタップダンスシチーにも流石に衰えが見えはじめ、成績は振るわなくなっていた。それでも僕はまだ彼に振り切ることを期待していた。折り合いに逆らい続けた者がついに全てに追いつかれた時、そこにどんな結末が待っているのか。その時ぼんやりと苛々とした日々を過ごしていた自分が投影した理想の結末を恐れてもいた。僕は彼が2年目に圧勝した舞台で、再び振り切ることをまだ期待していた。彼に賭けたようで、自分の理想に賭けた。当時の僕にはかけがえのない金額だった。
 
最後の直線。タップダンスシチーはものすごいペースで(結果的に日本レコードを演出するほどの!)逃げた。それは不安や恐怖を遠ざけてくれているようにも見えた。「振り切れ!」いつものように叫んだ。その直後、彼は馬群に飲み込まれた。次々と抜き去られていく。抜き去られても走り続ける。競馬なら当たり前のことだ。僕にはそれでも彼が振り切ろうと逃げているように見えた。ゴール板を過ぎても彼しか見ていなかった。勝った馬の名前は後になって知った。
 
勝負の世界は無残だ。無残に散った。
美しい去り際を望んでしまったが。
でもタップダンスシチー、君はカッコよかったよ。